夢見るコアラの日常

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【森会長の女性蔑視発言考察】本当の問題と行き過ぎた批判について

 

 

始めに

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JOC臨時評議員会から1週間、森会長の発言に関する騒動が留まることを知らない。

 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」との発言が女性蔑視・女性差別と捉えられ大炎上。謝罪会見を行うも逆ギレ会見と揶揄され、野党は国会で猛抗議。あらゆる場所で森会長の辞任を要求するデモが行われ、この発言が引き金となってボランティア辞退者が出ているとの声もある。

正直、森会長の発言は失言であったと認めざるを得ない。

しかしそれでも私は断言する。

 森会長は決して女性差別の思想を持った人ではない、ということを。

 今回はこの発言の何が問題であったのか、考察していこうと思う。

 

 発言全文を見て初めて感じる”報道とのギャップ”

 そもそもこの発言で騒いでいる大勢の人が森会長の発言の全文を見ていない。メディアが報道したごく僅かの発言だけで批判を続けている。

まず改めて、森会長の女性理事に関する発言の全文を見ていきたい。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。

 

 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。

 

 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。

メディアは発言の中の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」の部分や「女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る」という部分だけを切り取り報道しがちだ。

だが、この発言の主旨を考えると、報道とのギャップに気づくはず。

最後の段落、森会長はJOC女性理事達を「お話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っています」と述べ、「欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。」と結んでいる。

即ち森会長は「優秀な女性を積極的に採用していきたい」という、女性蔑視とは真逆の考えを主張している。ここが森会長の最も伝えたかった点である事に間違いない。

この部分を見ると、森会長が女性蔑視の思想の持ち主である、という批判がいかに的外れであるかが理解できるはずだ。

 

全文を読んでも”女性蔑視だ!”と騒ぐ人が持つ3つの勘違い

この騒動が発覚した後、私はTwitter上で発言全文を共有し、森会長の発言は女性蔑視から来るものではないと主張した。しかし、全文を見てもなお、「これは差別発言だ!」と突っかかって来る人は大勢いた。

彼らと話しているうちに、大きく3つの勘違いをしていることに気づいたので指摘していく。

 

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」が差別発言であるという勘違い

まず大前提として、女性差別ジェンダーバイアスとは、男女の役割や立場に対して固定概念を持ち、女性を冷遇することを意味する。

例えば女性議員が少ない今の状況や、女性が家事をやるべきだという考えはジェンダーバイアスが働いている状況であり、女性差別発言であることは間違いない。

その上で森会長の「女性は優秀で競争意識が高いから話が長くなる」という発言は、単に森会長が考える女性の特徴を述べているだけに過ぎない。

例えばこの後に「女性は優秀で競争意識が高いから話が長くなるから、女性を採用したくない」と続くのであれば、これは立派な女性蔑視発言だが、少なくともこの言動だけでは女性に対する蔑視感情は見えない。

 

 「発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る」が森会長の発言である、という勘違い

この発言は立派な女性蔑視発言と認定できる。しかし、森会長の発言全文を読めばわかるが、これは他人の言葉であり、最後の段落を見れば森会長の思想とは反する発言であることが分かる。

 

「わきまえる」が「身の程を知れ」という意味だという勘違い

厚切りジェイソンさんが「わきまえるとは身の程を知れという意味だ!」とコメントしていたが、もう少し日本語を学んでから発言して欲しかったなととても残念に思っている。

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“わきまえる”というのは広義的に見て「物事を分別する」という意味であり、英語にはない言葉だ。頑張って訳そうとしても恐らく”know”としか出てこないはずだ。

ではこの言葉をどう使うか、大きく二つの使い方があると考えている。

一つ目は「物を行うにあたって丁度良く収めること」、

二つ目は「自分の程度を知る」という意味。

多くの人が「わきまえる」という言葉だけを見て「自分の程度を知る」と訳しまっているように見えるが、この後に述べられる「お話もきちんとした的を得た」という所を読む限り、ここでは前者の「物を行うにあたって丁度良く収めること」という意味で「わきまえる」という言葉が使用されたと考えるのが妥当だ。

言葉の意味を理解せず”#わきまえない女”というタグで抗議する姿は非常に滑稽だった。

 

結局何が問題だったのか?

私が森会長の発言が失言であったと思っている理由、それはユーモアを交えようとして必要のないことを喋ってしまった事だ。「発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る」という発言は、言うならば「誰だったか忘れたけど、あなたのことこんな風に悪口言っている人がいたよ」と公言しているようなもの。例え他人の発言であったとしても気分を害するのは当然と言える。

また「話が長い」とった固定概念含め、誤解を招く表現、即ちそういった差別を匂わせる表現があったことは確かだと思っている。こういった発言の誤解とは話す側と受け取る側の両側の問題だと認識しているが、少なくとも森会長の発言にも責任がある。 

しかしいずれにせよ、これはあくまで”失言”として処理される問題であり、森会長の謝罪と発言の撤回で解決する問題となるのが普通である。しかし、それでも尚、森会長を女性差別しそうの持ち主と信じて疑わない人達が騒ぎを大きくし、一向にこの騒動は収まる気配を見せない。非常に異常な光景となってしまった。

ちなみに彼の謝罪会見の様子から「反省していない」「何様だ」という怒りの声も多く聞こえてくるが、そもそもあの会見は記者の質問/態度に大きな問題があったと見ている。「差別の意図はなかった」と何度も説明しているにもかかわらず、女性差別をしている前提で何度も質問が来ればさすがに怒るだろう、と。逆ギレ時の様子より、最初に頭を下げた姿の方が重要なことは言うまでもない。

 

批判すべきは”失言”であり、”森会長自身”ではない

この騒動に対して森会長の発言に問題があったとコメントする人は物事の本質がよく見えている人だと思う。菅総理や五輪関係者は一貫してそういう姿勢を取っているし、昨日IOCから出された声明も森会長の発言を批判する物であった。決して掌返しではないと考えている。

一方、森会長の発言を勝手に解釈し、「森会長は女性差別思想の持ち主だ!」とか、「森会長は女性を排除しようとしている!」と騒ぐマスコミ、野党、フェミニズム主義者は、森会長を踏み台に何かしらのパフォーマンスを行いたいだけという風にしか私には見えない。しかも「何も発信しない人も差別主義者だ」という勝手な言い分を撒き散らし、次々と批判勢力を高めようとしている。同調圧力に屈するアスリートや五輪スポンサーも大いに問題があると思う。政治家を辞めてもなお無報酬で五輪の為に奔走する森会長を、1つの失言きっかけに集団リンチ紛いの追及を行う日本社会の構図に絶望すら感じる。

 

私としては。失言は失言として受け止めながらも、これまでの功績を称え、一貫してこう主張していきたい。

#森喜郎氏を支持します

#森会長を応援します

と。